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元看護師、27歳で俳優に転向した宇乃うめの…友人から「今何やってる?」の質問が一番怖かった

2023-10-20 eltha

宇乃うめの

宇乃うめの

 「カメラの画角に映ったとき、とてつもない雰囲気を醸し出す。皆、彼女に釘付けになる」と、近年国内映画祭の話題作に次々と出演する気鋭の俳優・宇乃うめのさん。多数の賞を受賞した映画『湯沸かしサナ子、29歳』で主演を務め、ドラマ『神様のカルテ』『ドクターX』『私と夫と夫の彼氏』など民放作品でもその存在感を示しています。俳優としてのキャリアを開始したのは27歳、退路を断ち切って「銀幕の向こう側にいく夢」を貫き通しました。“遅咲き”であるコンプレックス、“女優”のイメージを突きつけられる違和感、夢を認めてもらいたい切実な気持ち…新たなキャリアをスタートさせてからの想いを聞きました。

映画館もない片田舎で育った少女が見つけた“エンタメ”という宝箱

 「幼い頃は家で一人留守番をすることが多く、テレビをよく見ていた」という宇乃さん。母子家庭で生まれ育ち、母が仕事で家にいない間はずっとテレビを観て時間をつぶしていたという幼少期。いわば、エンターテインメントが“孤独を埋める唯一のもの”でした。

 「テレビが好きというか…そこにしか希望がなかったんです。当時はレンタルビデオにまだ活気があり、映画好きの友人の影響を受け、さまざまな作品を紹介してもらい映画も好きになっていきました。そしていつか自分もその中に入って、いつしか必然的に、映像に関する仕事をしたいと思うようになったのです」

 中学時代の進路相談では「エンタメが学べる学校へ行きたい」と母に相談しましたが、「ありえない」と猛反対にあったそう。青森県出身で、市街地から離れていた実家付近には映画館もなく、そういった仕事をしている人が誰もいない状況だったと宇乃さん。「まるで別世界の話や夢のように聞こえたのでしょう。母に大反対され、仕方なく近所にある看護師の資格を取れる学校を目指したのです。働いて自分で自分の責任を取れるようになったら自分のやりたいことをやろうと。そして私は看護師となりました」。

「役者になりたい」夢を語っても周囲に笑われ…

 宇乃さんが看護師の学校へ通っていた頃、彼女に映画を教えてくれた友人は映画学校へ。そして宇乃さんが看護師として働いていたときには、その友人は制作会社でアシスタントプロデューサーをするまでになっていました。20歳で看護師の資格を取り、オペ室看護師として三年半懸命に働き、宇乃さんも『そろそろ自分のやりたいこと、映像の世界へ…』と考えたとき、相談したのは先達であるその友人でした。

 「今から何をすればいいかな?」と尋ねると、「映像の世界へ行きたいならまずはカメラ、照明など色々な職種と関われる制作会社に入ったほうがいいんじゃないか」とリアルなアドバイスが。それが後押しとなり、看護師という安定した仕事を捨てて、映像制作会社に入社する決断をしました。

 「映像制作に関わる一通りの業務を経験しました。いつしか、セッティング前に俳優に代わって立ち位置に入り、照明の具合やカメラの映りをチェックする“スタンドイン”という仕事を多くやるようになりました。そして私がカメラに映るのを面白がってくれる監督が声をかけてくれたんです」

 それは坂道シリーズのMVを手掛ける映像ディレクターの池田一真さん。宇乃さんをカメラ、モニター越しに見て「なんか変で面白い」と言って、撮影のたびに宇乃さんをスタンドイン要員として指名するように。思えば「あれが、カメラの前に立ちたい、と思うきっかけになったのかもしれない」と回顧します。

 「振り返ってみると保育園の催し物でシンデレラを演じたり、小学校の発表会では率先してミニコントを披露したり、割と目立ちがりやだったのかもしれません。ですが成長と共に自我が芽生え、逆に大勢のひとの前で喋るのが苦手に。そうして封印されていた私の真の部分が蓋を開け、飛び出してきた瞬間だったように思います」

 まじめでおとなしい性格がベースでしたが、やりたいと思ったらまず動いてしまう性分でもあった宇乃さん。「今思い出すとよく言ったと思いますが、会社の上司に『私、俳優やりたいんで辞めます』と言い切ったんです(笑)」。

 もちろん最初は「演じる人になりたい」と言っても周囲から笑われることのほうが多く、ショックも受けたといいます。当時は“女優”という言葉がルッキズムや偏見とともに、気品高くオーラを持った選ばれし特別な者だけの特別な職業のように思われていた時代。「女優と聞くと、王道のイメージがありましたから。そこへあなたも進んでいけるの? と諭されたり。“演じる人”のイメージを限定的にとらえられる違和感を感じていました。ショックを受ける言葉もありました」。

 それでも宇乃さんは夢を見失わず、俳優になる道を模索。学校に入ることで体系的に演じることを学びたいと『カメラを止めるな!』の制作元であるENBUゼミナールに入学。芝居の勉強に没頭していきました。

 「不安もありました。看護師時代から比べて明らかに収入が減る。生活も厳しい。看護師の資格もあるのにそれを使わないということに対する罪悪感。当然、厳しかった母ともそんな不安定な仕事にと数年間は大喧嘩。でも確かに仕事もなかったので、『ずっと、これがやりたかったんだよ…』という本音も、呑み込むしかありませんでした」

ルッキズムに支配される日本の映画、ドラマ業界を変える存在に?

 懸命に働いていた母を困らせないよう生きてきた宇乃さんは、どんなに悲しいことがあっても相談せず、母に感情を読み取られないよう過ごす術が子どもの頃から身についていたといいます。結果、悲しいとか怒りの感情を「私が持って良いのか」と、自分の気持ちに蓋をするように。そんな母を心配させるのが宇乃さんにとって一番ショックなことでしたが、なんとか諭しながら、小劇場の出演からキャリアをスタートさせました。

 その時、すでに27歳。これは業界では遅いほうであり、同い年の友人たちはすでに多くのキャリアをつんでいました。同郷の友人たちは職場で主任になっていたり、子どもも2人目、3人目を持とうとする頃合い。「今何をやっているの? と質問されることがとにかく怖かった。みじめでしたし、自分は何をやっているのかと思うこともありました」。

 しかしその影で「自分は“社会人として働く”という経験ができた。看護師をやっていたし、制作会社で映像制作にまつわる経験も積めた」と、これまでの選択が俳優活動に生きる確固たる自信もあったといいます。俳優界には元会社員という人気スターも数多くいますが、「実は中学時代から、そういった俳優さんたちのリストを作って自分を納得させていたんです」。

 そんな彼女の運命を変えたのは、同世代の女性監督と作り上げたショートフィルム『湯沸かしサナ子、29歳』。国内の各映画祭やフィルムフェスティバルで数々の賞を受賞し、その後の出演作にも恵まれるように。そして10月20日公開の、まつむらしんご監督による新作映画『ふまじめ通信』の主演を候補者1200人の中から勝ち取っています。「オーディションって本当に受かることがあるんだと不思議な気分でした。苦しくても続けていたら報われる。応援してくださった看護師の同期や制作会社の方々もいたので、これで報いれると思えました」。

 同映画は都会で教師をしていたクニちゃんこと小山田久仁子が、まじめ過ぎるが故に心身を病んで辞職。田舎にIターンし、自身の性格を変えようと「ふまじめ通信」という音声番組を始め、やがてそれが多くの人々の心に染み込んでいくというヒューマンドラマ。

 「オーディションで予備台本を初めて見た時に、“これは私だ”と運命を感じました。私も自分が何とかしなければと責任も何もかも受け止めてしまうことがある。背負い過ぎなくていい。人に任せてもいい。人に合わせているといずれ自分を見失う。すると逆に周囲も幸せにできなくなってしまう。私もそれができてない。できるようになりたいと思っています」

 好きな俳優は片桐はいりさん。様々な作品でよく顔を見るが「あの人は誰だろう」と思われるような俳優にあこがれているそう。「私はまだスタートラインに立ったばかり」と宇乃さん。芝居の力と独自の空気感でのし上がっていく彼女の活躍が、日本のエンタメ界をさらに広げいくこととなるでしょう。

(取材・文/衣輪晋一) 

『ふまじめ通信』

(C)ふじまめ通信

(C)ふじまめ通信

もっと、うまく、ふまじめに生きる。
まつむらしんご監督が、真面目に疲れたあなたに贈る。
こころがちょっと軽くなるふまじめな物語。
10月20日(金)より池袋シネマ・ロサ ヒューマントラストシネマ渋谷
『ふまじめ通信』全国ロードショー決定 !

映画公式WEBサイト https://fumajime.jp/
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